赤湯人車軌道
大正8年−大正15年
軌道路線図と概要
[Prototype of the RailRoad]

赤湯人車軌道は、大正8年(1919年)から大正15年(1926年)までの8年間、現JR奥羽本線(山形新幹線)赤湯駅前から温泉街赤湯町間の約1.83kmに運行された軌間610mmの人車鉄道である。
開湯900年の歴史を誇る赤湯温泉は、明治期に奥羽本線赤湯駅が温泉街から西へ2km離れた沖郷地区の郡山につくられため、赤湯温泉の利用客は激減した。
そこで地元では、赤湯駅と温泉街赤湯町までの区間に人車軌道を敷設し、大正8年(1919年)4月25日赤湯人車軌道として開業し旅客輸送を開始した。
人車軌道は赤湯駅前から赤湯町温泉街に向かう道路沿いに敷設された。起点は赤湯駅前(@)で、吉野川に架かる花見橋(A)を渡り、赤湯町温泉街の中を通って桜湯の手前(B)を左折し、御殿守と丹泉ホテルの前(C)が終点であった。なお、花見橋を渡った先の堤付近(D)に人車庫があった。
赤湯人車軌道は旅客専用で、人車はたったの2輌しかなかった。また人車は、両端オープンデッキタイプで車夫が2〜3人で押していた。
運行は、冬季積雪時期の運休を除いて平均1日30人ほどで、地元住民はあまり利用せず外来の温泉客が主体であった。運賃は10銭で、後に倍の20銭に改訂された。
また全線単線で交換線がなかったので、常に1輛のみの運行で他の1輛は人車庫で休止していた。
赤湯人車軌道は、当初動力化や延長の計画もあったが、残念ながら利用客が少なく、さらに大正12年(1923年)6月30日に発生した人車庫火災による人車喪失も災いし、開業後4年ほどで営業停止に追い込まれ、大正15年(1926年)11月29日には廃止されるに至った。
人車古写真
[the PassengerWagon]
赤湯駅前の人車(@)
(写真は南陽市教育委員会所蔵)
人車はオープンデッキタイプであった。
花見橋を渡る人車(A)
(写真は白土貞夫氏所蔵)
吉野川に掛かる当時の花見橋は木造で、人車軌道は道路橋と併設された専用橋を渡っていた。
赤湯人車軌道の終点(C)
(写真は宮田憲誠氏所蔵)
赤湯町温泉街の御殿守前が人車軌道の終点で、停車中の人車が見える。
引用参考文献
写真提供ならびに著書引用に関して下記の方々に深謝の意を表します。
宮田憲誠氏著「遠い日の鉄道風景」(径草社 2001年)
白土貞夫氏著「絵葉書に描かれたみちのくの私鉄十三景」(鉄道ピクトリアル636号 1997年)
和久田康雄氏著「私鉄史ハンドブック」(電気車研究会 1993年)
「南陽市史下巻(近・現代)」「年表・写真でみる南陽市史」(南陽市教育委員会)
赤湯温泉旅館協同組合「赤湯温泉周辺地図」