取った駒を使えるのは日本将棋だけ 
  


 パソコンが好きな方なら、チェスのワールドチャンピョンとコン
ピューターが、今年華々しい戦いを繰り広げたことはご存じでしょ
うか。技術の進歩とともに、ついにコンピューターが、ワールドチ
ャンピョンを一回は破るという快挙を成し遂げました。トータルで
は人間代表のチャンピョンが勝ったわけですが、少なくともそのチ
ャンピョンに実力で一回とはいえ土をつけたプログラムが誕生した
ことは、驚くべきことです。

 おそらくあと数年のうちには、ワールドチャンピョンと互角以上
に戦うコンピューターが現れるのではないでしょうか。

 では将棋はどうでしょうか。将棋のコンピューターもたしかに強
くなってきました。しかし、それでもまだまだプロの域には達して
いません。たとえば今あるパソコン用の将棋ソフトの実力は、自称
アマチュア二段程度となっていますが、実力二段の人であれば、ま
ず負けることはないでしょう。

 果たしてプロに平手で勝てるほど強いコンピューターが、私たち
が生きている間に完成するかどうかは、議論の別れるところですが、
私は難しいのではないかと思っています。まして、羽生七冠王に勝
てるコンピューターが現れるとは、到底思えません。ただ懸命に研
究を続けている方がいるわけですから、いつの日かコンピューター
がプロ棋士を負かす日が来るのかも知れません。コンピューター将
棋については、また違うコーナーでふれる予定です。

 西洋将棋であるチェスと将棋とで、どうしてこれだけの差ができ
るのでしょうか。それは、チェスでは取った駒を二度と使えないこ
とに対し、将棋では取った駒を何回でも使えることにあります。そ
れゆえに、変化が無限となるのです。将棋自体は世界各地にあるの
ですが、取った駒を使えるのは、日本将棋だけです。これには、深
いわけがあるんです。

 チェスも将棋も元をただせば、実はルーツは同じです。インドで
はじまり、西洋に渡ってチェス、東洋に渡って中国象棋、そして日
本の将棋となりました。ちなみに日本古来からある将棋は、今とは
違い、盤の大きさも駒の数も種類も、一段とスケールの大きなもの
でした。大将棋、中将棋がこれです。今のような形に収まったのは、
戦国時代の末期だと言われています。

 将棋が日本の戦国時代の合戦をシュミレーションしたものである
ことは先にふれましたが、チェスや中国象棋もそれぞれの国の戦い
に沿うように、形を変えていきました。

 たとえばチェスでは、王様に当たるキングのほかに、その后であ
るクイーンという駒があります。マリア・テレジア、エリザベス、
マリー・アントワネットなど、ヨーロッパでは女王の権力が絶大で
あった歴史があり、チェスにはまさにそれが反映されているわけで
す。

 ビショップと呼ばれる僧侶(キリスト教会の高級聖職者)を表わ
す駒もあります。キリスト教会の力が強く、数々の戦争に関わって
きたことも、欧州の歴史が証明するところです。

 将棋という単純なゲームのなかには、それぞれの国の文化が色濃
く反映されているんです。日本将棋には日本の文化が内包されてい
ます。部外者から見たとき、他国の文化はときに奇異に写るようで
す。

 戦後まもなく、GHQの将校が将棋に目をつけ、プロ棋士を本部
に呼び寄せました。交渉に当たったのは、升田幸三という豪放磊落
な棋士です。どうやらGHQは将棋のなかに危険思想が含まれてい
ると感じていたようで、場合によっては将棋を禁止することも検討
していたのかもしれません。

 将校は尋問します。
「将棋はチェスと違い、取った駒を自分の兵として再び使う。これ
こそ捕虜虐待の思想ではないのか」

 第二次大戦では日本が国際法からはずれ、多くの捕虜を虐待した
ことは事実です。その思想を支えているのは、庶民が何気なく興じ
ている将棋ではないか、と弾劾してきたわけです。升田はこれに答
えます。

「冗談ではない。チェスこそ取った駒は殺したままでいる。それこ
そ捕虜虐待ではないか。だが日本の将棋は、捕虜を絶対に殺しはし
ない。再び将校となって働いてもらうのだ。あなたは先ほど「兵と
して再び使う」と言ったが、それは違う。将校を歩兵として使うこ
とは、日本将棋ではしない。元の官位のまま、将校は将校として、
飛車は飛車として遇するのである」

「それは詭弁ではないのか」

「違う。昔、楠木正茂という将軍は、敵兵が川に落ちるのを見て、
これを救った。本来は殺すべきはずである敵兵を、救ったのだ。救
われた兵は感激し、正茂の部下となって大いに働いた。これこそ、
日本の精神である」

「・・・しかし、日本では庶民にまで将棋をやらせていると聞いた。
それは、武道と同じく、戦いの準備をさせているのではないのか」

「武道の『武』とは、矛を止めると書く。力を外へ向けるのではな
く、己を磨くためにあるにすぎない。また日本人は、庶民と言えど
も本も読めば文字も書く。将棋を指すのも教養の一環である。それ
よりもお伺いしたいことがある。チェスでは王様を助けるために、
女王を犠牲にすることもある。女を楯に助かるとはどういうわけな
のか、お答えいただきたい」

 酒を飲みながら、ひるむことなくまくしたてる升田に、GHQも
手を焼いたことでしょう。

 取った駒を再び元の官位のまま使う、ここには日本特有の文化が
息づいています。陸続きのヨーロッパでの戦争は、そのほとんどが
異民族同士の戦いでした。征服するか、征服されるか、選択肢はひ
とつしかありません。敵の捕虜になったからといって、寝返るわけ
にはいきません。敵のために働けば、今度は自分の家族や親戚に弓
を引くことになってしまうからです。だから捕虜となった駒は死ん
だものとして二度と使えなくなる、これがチェスの考え方です。

 ところが日本では民族同士の争いよりも、同一民族による権力闘
争のほうが、はるかに多かったのです。なお念のために断っておき
ますが、日本は決して単一民族国家ではありませんよ。異民族同士
の争いも、歴史のなかには含まれています。

 戦国時代とて、権力闘争の例外ではありません。国同士の民衆が
戦ったわけではなく、領主が領土を広げるために、あるいは領土を
守るために、戦ったにすぎません。支配者が変っても、民衆の暮ら
しが大きく変化するわけではありませんでした。領主が変れば、前
の領主に仕えていたものたちが揃ってなびくことはむしろ当然のこ
とだったのです。

 武田勝頼率いる武田軍が滅亡した後、徳川家康が武田軍の武将を
懐柔した話は有名です。武士が君主への忠誠を誓うようになったの
は、徳川幕府が儒教を教育のために採用して以降のことです。

 だから戦国期に発展した日本の将棋では、取った駒は再び使える
ようになったのです。そのほうが、当時の日本人の感覚になじめた
のでしょう。そして、それゆえに日本将棋は、他国の将棋とは比較
にならないほど奥深いものとなったのです。


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