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9月15日(日)
 う〜む、またまた久々の日記となった。先週は無茶苦茶忙しかったのだから仕方ない。
 だいたい一週間で単行本の120ページ分を仕上げろ! なんて言われるんだもんなぁ。

 睡眠時間を削ってでもなんとしても間に合わせなければいけないのが、フリーの辛さ。
 ふう、本当疲れた。

 で、なんだっけ、そうそうサイトウ・キネンのオペラだった。なんかすっごい昔のことを書くようで気が引けるから、軽く書くにとどめよう!

 プーランクの「ティレジアスの乳房」が、今回サイトウ・キネンの選んだオペラだった。

 ほとんど前知識なく行ったんだけど、舞台のつくりが前回とどうもよく似ている。
 あとから調べてみたら、やはり前回と同様デイビッド・ニースの演出だった。
 この人のあか抜けた舞台作りには好感がもてる。

 演出にしても舞台作りにしても、オペラというよりミュージカルにきわめて近いものを感じる。
 「ティレジアスの乳房」自体がシュールリアリズムを現した作品であるだけに、よくマッチしている。

 指揮者の小沢さんまでが、演出に参加するとは知らなかった。

 ティレジアスが乳房に見立てた風船をオーケストラビットに差し出すと、小沢さんがタクトでそれをつつく。
 風船がいきおいよくはじけ、ティレジアスがおどけたしぐさを見せると、会場から爆笑がおきた。
 ティレジアスが性転換する大事な場面を、これだけ印象的に演出するのだからたいしたものだ。

 ティレジアスを演じたのはバーバラ・ボニーだ。

 伸びのある澄んだソプラノだった。そういえばバーバラ・ボニーといえば、「魔笛」のパミーナ役がはまり役だっけ・・・。たしかそうだよね。今度CDでも探してみようかな。

 また来年サイトウ・キネンに出会えるのが、今から楽しみ楽しみ!


 

9月5日(木)
 久々の日記だ。とりあえず、8月31日・9月1日と、松本のサイトウ・キネン・フェスティバルに出かけたことを書いておこう。

 サイトウ・キネンも今年でもう5年目を迎える。
 第3回目のフェスを抜かしたオーケストラと、すべてのオペラを、会場まで足を運んで見たことになる。

 例年このフェスティバルのチケット獲得競争には、目を見張るものがある。
 チケット発売三日前から、会場前でテントを張って待ちかまえる人もけして少なくない。
 一般客としてチケットを取ろうとしたなら、相当の覚悟が必要だ。

 それが毎回苦労せずに会場に入れるのは、ひとえに取材という大義名分があるからなのだ!

 このときばかりは、プレスの特権に感謝したくなる。
 ただ問題は、写真撮影が主な目的になるために、通訳室に押し込められることにある。

 そう、生の音が聞けないのだ。
 通訳室のスピーカーから聞こえてくる音は、あまりにも貧弱で涙が出てしまう。

 まぁある程度プログラムが進んだところで、ささっと会場にもぐり込むことは可能なんだけど、それはあくまで内緒の話。(^^;

 今年のフェスはいつもとは、どこか違う。
 第一回からフェスに深く関わってきた作曲家の武満徹氏が、この場所にいない。

 プレス仲間で開場前のひととき雑談を交わしているとき、ふと振り返ると武満さんが微笑んでおられることが、幾度かあった。

 いつもおだやかで、なごやかな方だった。
 いかにも芸術家らしい風采を備えた方でもあった。
 その武満さんが、もうフェスティバルに顔を出すことがないなんて、寂しすぎる。

 バイオリンの徳永さんも逝き、メンバーの一人ひとりが次第に欠けていくことにも、一抹の寂しさを感じる。

 この比類なきSKOの演奏を、あと何回聞くことができるのだろうか。
 そう思うと、ひとつの演奏に対して、一期一会の念が増してくる。

 エグモント序曲から、今年のサイトウ・キネンの幕が開いた。
 悲痛なハーモニーが、武満さんを、徳永さんを忍ぶかのように、次第に厚みを増して響いてゆく。
 それは間違いなく、サイトウ・キネン・オーケストラならではの澄み切った調和のとれた音だ。

 この音色を聞くために、一年間待っていたのだ。

 武満さんの作曲による「マイ・ウェイ・オブ・ライフ」へと演奏は移る。
 ドライン・クロフトのバリトンが、会場内の空気を揺さぶる。

 独唱が切れると、東京オペラシンガーズの合唱が、響き渡る。
 タクトを振る小澤さんの背中が泣いている。

 ときにやさしく、ときに悲しみを振り払うかのように激しく、小澤さんが指揮をとる。
 やがて最後のクライマックスが大波のように押し寄せる。
 クロフトのバリトンと合唱がついに重なり合い、荘厳な響きを伴ってピタリと止んだ。

 動かない。
 すべての思いを吐き出すかのように、タクトを力を込めて降りおろしたまま、小澤さんは微動だにしない。

   会場内を静寂が支配する。
 誰もが身動きひとつせず、不動の小澤さんの背中を見つめている。

 長い時間が過ぎたように感じられた。
 やがて、小澤さんがゆっくりと振り返る。
 その瞬間、一斉に拍手が沸き起こる。
 地の底から響いてくるような力強い拍手が、小澤さんと演奏者に向けられた。

 小澤さんは袖口で涙をぬぐうと、そのままクロフト氏と抱き合った。
 拍手と歓声は、尾を引くように鳴り止まなかった。

 そして、シューベルトの交響曲「ザ・グレート」へ。
 小澤さんの躍動感あふれる指揮ぶりが際だっていた。

 SKOの音色もそれにつられるかのように、ときにスキップしながらさわやかに、ときに優雅に、それでいて円熟した演奏を見せる。

 サイトウ・キネンにかける小澤さんの情熱が伝わってくるような、力強い演奏であった。

 それにしても残念なことは、日本の観客のおとなしさだろうか。
 欧米のコンサートに比べると、演奏が終わったあと、立って拍手を送る人が意外と少ない。

 拍手の大きさは決して少なくはないのだが、感動の表現の仕方がいまひとつ物足りないように感じる。もっと赤裸々に感動を現わしてもいいような気がする。

 思わず通訳室を飛びだし、会場に入り拍手の波に加わっては見たのだが、オケが袖に消え会場内が明るくなると、帰り支度をはじめる人でごった返す。
 会場の半分の人が拍手を続け、半分ほどの人が通路に押し寄せる有り様だ。

 再び小澤さんとSKOがステージに姿を現わす。
 いったん会場から出た観客が再び会場内に押し寄せては来たものの、なにやらちぐはぐではある。

 アンコールはなかった。
 そういえばここ数年、アンコールで決って演奏されるモーツァルトの「ディヴェルトメント」を聞いていない。

 たまには聞きたいものだ。
 この曲に関しては、世界中の他のどのオーケストラの演奏よりも、SKOのそれが好きだ。

 痛切な響き、柔らかさ、暖かさ、SKOのつむぎだす音には、魂をふるわせるなにかがある。

 一年ぶりの名演を聞いた感動に、その夜はなかなか寝つけなかった。

 オペラについては、また次の機会に・・・。


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